SUGIZO (ex LUNA-SEA)

すごく懐かしい未来の音、初めて触れた時そう思った。DREAM DOLPHINの音には現在を突き抜ける為の勇気といつか存在すべき安堵感が混じりあっている様な気がしてとても気持ちいい。本当にいい音楽は、時も場所も超えていくと思う。アンビエントこそ時代を超えて皆に溶け合っていく精神だと思う。忘れていた事を想い出させてくれる様な彼女の音を僕は愛しています。

Kim Cascone

現在のダンス産業がアンビエント・ミュージックを窒息させてしまっているという現実によって多くの新人アンビエント・アーティストがその地盤を固めるのに苦労している。ますます加速していく時間構造をアンビエントのような芸術形式に強要することは、このジャンルを地下へ押しやり、過去の異物としてしまうのである。それでも道を押し開いて前進し、新しい試みに挑戦し、市場の圧力、流行を無視し、ただ心の耳に聞こえる音楽を創造するために辛抱強く活動しているアーティストがいる。現在、アメリカやヨーロッパでは、アンビエント・ミュージックにおいて新鮮なまたは興味深い作品がほとんどないように感じられる。そして今闇を 照らす光は、日本を映し出しているのではないだろうか。日本には一週間滞在しただけだが、日本の文化について何か特別なものを感じた。それはスピリチュアル(精神的)なものすべてに対する敬意である。そして、まさにこのことによって私はすぐに日本文化に親近感を抱くようになった。DREAM DOLPHIN の音にはこのスピリチュアリティの感覚があからさま又は陳腐にならない状態で含まれている。それは各ピースに、若者の自然なスピリットを暗示するように静かに内包されている…世界がそんな性質を妨害する前に…この世の純粋さ…我々の住む混沌の中をすり抜ける純粋なダンス…「Love-Eating Alien」のリミックスにあたっては、どうやってかすかなスピリチュアル・クオリティをあからさまにせずに保つことができるだろうか、と好奇心をそそられた。私はDREAM DOLPHINのサウンドに敬意を表するような深いアンビエント・フィーリングに到達できたと思う。アンビエントというジャンルの中で活動している、そして最近のミュージック・シーンからは消え去ってしまった重要なスピリットを伝達できるアーティストがまだいることに感謝しています。

越智義朗

僕はドリーム・ドルフィンの透明感のあるピュアな音世界が大好きだ。彼女の歌声は、天空の、宇宙の彼方から風に乗ってやってくる。

青木誠

 はじめて会ったのは去年の2月で、これはインタビューだったがすごい刺激をうけたのを憶えている。CDを聞いて、テクノ少女か、ひょっとするとパンク少女かと想像してでかけたら、そうではなく、洗練と野性が同居する、水を切ったばかりの新鮮な野菜をみるような高校生である。ストレートだがゆっくりと、自分の言葉が自分自身を裏切らないように確認しながらインタビューに応じた。私などはいま喋っている言葉がどんどん私の真意とズレていくのに気づきつつ、それでも言葉の論理のままに喋りつづけてしまうことがよくある。言葉は不完全な道具なのである。「映画『2001年宇宙の旅』のラスト・シーンを言葉で語るかっこ悪さを思い出してください」。そうも発言した。言葉で語るそばからポロボロこぼれ落ちてしまうイメージのひろがりを、映像は、また音楽は、カバーできる。しかし、イメージのひろがりをたのしむためには聴衆のがわにも洗練が必要となる。近年、ポピュラー音楽がパターン化し、型にはまった生活に安住する保守派がむしろこのパターン化を好む気配もうかがえる。そこをとび出して、思いきりイメージのひろがりをたのしむ冒険家を現在は“アンビエント”派と呼ぶようである。家庭よりも自然環境の息づかいを、社会よりも地球の鼓動を、肌に感じたい探検家である。アフリカ人や南米人種のほうが文明に汚れていないだけに芸術面では洗練されているとも思える。モノは不足しても、社会に圧殺されず、自然と接触した生活だからその音楽には広大なイメージの面積がある。インタビューするうちに気づいたがNORIKOはテクノロジーの先端に棲みつつも耳は民族音楽を聞いている様子である。テクノロジーもまたイメージをひろげる道具である。ときには自然のおだやかさとやすらぎを、ときにはおなじ自然がかかえる荒々しい暴力を、DREAM DOLPHINは率直にして純粋な感性が命じるまま音にひびかせている。

村上真一

いたたまれなさが猛スピードで体の中を駆け巡り、泣きたくなり、気が変になりそうでした。何と言っていいのでしょうか、彼女の全人格が私にものすごい勢いで迫ってくるのです。とんでもない宝物を見つけたような気分です。しかも、誰にも渡したくない、知らせることすらしたくない自分だけの宝物です。ニナ・ハーゲンは、修羅のごとく迫ってきます。けど、それとは全く異質です。オフラ・ハザでもないケイト・ブッシュでもない、いろんな女性ミュージシャンの音の記憶を蘇らせてみたのですがNORIKOさんの音は私の体験に含まれていまん。それは単に打ち込み系をほとんど聴かないからでしょうか。体験には含まれていないけど、遺伝子に働きかけてくるようです。自分がフラッシュバックして幼少の頃に戻り、幼児へ、胎児へと回帰し、どんどんミクロになっていくイメージが浮かんで来ます。その先には海があり、宇宙があり、暗黒があります。そこには自分の存在がありません。これじゃ、NORIKOさんが言ってたことそのままじゃないか! やばいです。どうやらとんでもない人を取材してしまったようです。しばらく向こう側に行って帰らないことにしました。それでは。