クールな振りして、実は“挑んでる”
音楽ライター 渡辺 史
最初にこの作品の存在を知った時、正直なところ「ポエトリー・リーディングかノ微妙だな」と、思ってしまいました。でも、聴いてみたら、コレは“あり”でした。うん、“あり”。
まず、Jin Nakamuraによる音がかなりおもしろい。アシッド・ハウスみたいな曲、イントロだけ聴くとジョン・レジェンドやアリシア・キーズみたいなネオ・ソウル系の曲に、声優の女性の声がノっていたりするわけで、これが結構斬新。普通、ポエトリー・リーディングは、詞と朗読がメインですけど、この『Blister Pack Voices』は、メポエトリーミュージックモと銘うっているだけあって、音楽と詞と声が、たがいに引っ張り合ってる。その力関係がちょっと新しくて、予想外にポップでした。iPodなんかにダウンロードして、他の曲の中でふっとこのアルバムの曲が流れてくると、そのちょっと特異なポップ感がよりはっきりすると思います。普通の音楽とは、少し違う神経や筋肉を使う感覚があるんですね。
そして、その音にのる松井五郎の詞が、これまたかなり挑戦的。曲ごとのテーマやコンセプトはなんとなくうかがい知れるけども、イメージを限定する具体的なストーリーや、白黒はっきりさせるような描写が少なくて、最初はそれが少し不親切に感じました。でも、何度か聴いていくとそれがこの作品の肝というか、良さだと思えてきてノ。
聴き手の精神状態とか考え方によって、かなり色んな解釈のできる詞なんですよね。心のなかでうごめいている感情や思想が切り取られて、すごく冷静に語られているようでありながら、どこか辛辣だったり、溢れ出しそうだったり。それが音と相まって、聴いていると色んなイメージが出てくる。でも、そのイメージが、限定できない。色々と刺激されるんだけど、そこから見えてくるモノが一つじゃない。
で、もっと聴いてると、今度は自分の好きなイメージで聴けるようになる。
仕事帰りの車の中、なんとなく眠れないままむかえちゃった朝方のベット。そういう、どこで、どういう気分で聴くかによっても聴こえ方が相当違う。
これ、今珍しいと思いました。今はメ売りモとかメコンセプトモをいかに明確にするか、ということに重きを置く時代みたいで、送り手側に、受け手に“こう見られたい”という意識がすごくある。でも、この『Blister Pack Voices』は、最初から、恐らく意図的に、受け手の感じ方の多様性を望んでる。色んな人が色んな場所で色んなイメージで聴く、そういうことを許容してる。それが、挑戦的でおもしろい。結構、“挑んでる”作品です。
音から受ける今までにあまりない質感、頭の中で分散を続けるイメージの断片、そのふたつを楽しんでみてください。