DISCOGRAPHY


松井五郎×吉元由美×山本達彦

「Libido game」松井五郎×吉元由美×山本達彦
「Libido game」

FRCA-1163 ¥2,723(税込)
2006.6.21
■全10曲収録

[ユーキャンオンラインストアでCDを購入]

クレジッドカード・コンビニ支払


from G
 本来、同業者とされる作詞家同士の接点は少ない。同じアーティストやアルバムで名前は並んでいても、面識もないことが多い。それでも、同じ船に乗る運命共同体であり、その存在は常に影響を与え合う。山本達彦や平原綾香の歌詞に見る吉元由美のことばも、同じアーティストでありながら、自分とは違う表情を生み出すその作風に心惹かれた。特に『Jupiter』の持つ強さと深さは誰もが知るところだ。
 いつか女性の作家と同じテーマに沿ってコラボレーションしたいと考えていた。今回、ポエトリーミュージックという異端のジャンルでそれを叶えることが出来た。作詞家でもあり、詩人でもあり、またエッセイや小説にも手を染める吉元由美という表現者にとって、いままでのどれとも違うことばの覚醒を期待した。それも、女性作家が男性のことばを、男性作家が女性のことばを、という歪なルールで。

 僕は、常に創作が予定調和に終わらないことを願っている。段取り通りの完成は刺激にはならない。その意味で、吉元由美は僕の想像の隙を突いてきた。聴いていただければ、きっとそれはわかる。僕が骨を組めば、彼女は肉を添える。彼女が神経を編めば、僕は血を満たす。そうして、この作品がひとつになった気がする。

 そして、命を起動させるのに必要な音と声を山本達彦に依頼した。ポエトリーミュージックという僕がでっち上げたメソッドに当初は困惑したようだ。BGMでもカラオケでもない音楽。ことばと対峙しながらことばを活かす。作業のほとんどが手探りだったように思う。しかし、それでよかった。手本のないもを作ろうとしているのだ。たどり着く形は最後の最後まで見えなくていい。できあがった曲は、ことばに試行錯誤を与えた。思う以上の部分と、思うようにはいかない部分のバランスがBohemian Quarterとは違った作品を生み出した。

 さて、朗読者である。ただ声が良いというだけではつまらない。正確に読めるというのとも違う。やはり、声の持ち主を体感できなければつまらない。企画段階では俳優のキャスティングも考えた。しかし、台詞ではない。ことばを読むというよりも、ことばを歌う感覚が欲しかった。山本達彦にとってもはじめての挑戦であった。そして、その挑戦は僕を満たしてくれた。表象、無機質なことばにも、まちがいなく体温は与えられたと思う。

 女性の朗読者もシンガーをキャスティングした。Maichiは僕がプロデュース中のシンガーである。メロディのない歌をどう歌うか。彼女にとってもそれは挑戦であったはずだ、実際、歌でありながら歌われるに至らないことばも多いと思う。ことば自体が持っている響きと意味を捉えるには、朗読はシンガーにとってもマイナスではないはずだ。

 また、やっかいなものを作ってしまったかもしれない。前回同様、どう売っていいかわからないと言われるのだろう。在るものに慣れた者は、扱いに戸惑うだろう。

 だがしかし、ないから作る。それがおもしろい。

▲Libido game TOP